戦争といのち
ー今、わたしたち一人一人が問われているー 

 「生命」とはまさに、尊いものである。その尊い「生命」を脅かし
奪い去ってしまうもの、それが「戦争」である。
 戦争は、人権侵害の最たるものであり、戦争はいかなる理由が
あろうとも許すことの出来ない行為なのである。ところが、「二十世
紀は戦争の世紀」と言われる程に、人類は第一次世界大戦・第二
次世界大戦・水爆実験・諸国間の紛争等、戦争を繰り返してきた
歴史がある。特に時代とともに兵器の殺傷能力が高くなり、それに
伴い戦争の内容も様変わりし、非戦闘員、特に社会的弱者といわ
れる女性、老人、子供が標的になり、犠牲になってきた。 第一次
世界大戦では、ヨーロッパを中心に二千五百万人、第二次世界大
戦では世界全土が戦場となり五千五百万人もの人が犠牲となった。
その他、その数を上回る多くの人々が傷つき、住居や家財を失った。
この事実を直視しなければならない。

 この二度にわたる大戦の反省から昭和二十年(1945)ニューヨー
クに本部を置く「国際連合」を設立し、昭和二十三年(1948)第三回
国連総会において『世界人権宣言』が採択され、すべての人間は、
生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等で
ある。人間は理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持っ
て行動しなければならない。(第一条)」「すべての人は、人種、皮膚の
色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出
身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による
差別も受けることはない(第二条)」と規定した。
 また、日本国憲法の前文に、「日本国民は恒久の平和を念願し(省略)
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存す
る権利を有することを確認する。」また、憲法にも「国民は、すべての
基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本
的人権は侵すことの出来ない永久の権利として、現在及び将来に与え
られる。」(第十一条)この「世界人権宣言」・「日本国憲法前文」「日本国
憲法」は、この精神をもって厳格に守られなければならない。


 先の大戦で、日本国は世界で始めて、いや人類史上唯一広島・長崎
に落とされた原子爆弾によって多くの生命が犠牲となり、さらにビキニ
環礁における水爆実験でも多くの人々が犠牲となった。六十年たった
今でも多くの被爆者たちは迫り来る自身の不安と病に苦しめられている
のである。私は縁あって被爆者の方たちとお話をする機会を頂くことが
ある。その方々は一様に「二度と私たちのような苦しみを味わって欲しく
ない。二度と繰り返されてはならない。」と強く声を上げ、訴え続けている
のである。人と人とが殺し合い、憎しみあう。尊い生命を奪い取ってしまう。
このような悲惨な戦争を私たちは決して許してはならない。させてもなら
ない。私たち一人ひとりがそう願い行動していかなければならないので
あろう。


 仏様にご縁を頂き、私たちはこの世に生命を受け、一生懸命に生き、
生命を育んでいるが、生命とは決して一人で育んでいけぬもの。さまざま
な係わりの中で、助け合い・励まし合い・互いに努力し、互いに認め合っ
て生きて行かなければならないのである。即ち、互いの生命を尊重しあう
ことがもっとも大切なのである。
 「排除」の論理より、「共生・共存」の実現を目指す。一度戦争が始まる
と「生命の尊厳」などそこには一寸たりともありえない。昨今の状況を見渡
せば、ニューヨークテロ事件(九・一一)以降、報復に報復を重ねる戦争・
テロは世界に飛び火し、現在も多くの犠牲者が出て、尊い「生命」が危険
にさらされている。武力では決して解決には至らない。

 今、一部に日本国憲法「改正」の動きがあるが、現行憲法第二章 戦争
の放棄を明記し、第一項・第二項によって平和憲法と称されるこの憲法を、
私たち日蓮宗徒は先の大戦の反省を踏まえ、厳守しなければならない。
「互いに認め合い」・「尊重し合い」大切な「生命」を脅威にさらさない。この
精神をもって「対話」することの重要性を説き、決して武力では解決しない
ことを改めて世界にしらしめる、もっとも大切な時期に来ているのではなか
ろうか。いま、私たち一人ひとりの行動が改めて問われているのである。

                                    シリーズ29より